フランツ・アントン・メスメル

Franz Anton Mesmer

1774年、メスメルは、ヒステリーを患う患者、フランシスカに鉄を含有する製剤を飲み込ませて、その後、彼女の体の様々な部分に磁石を取り付けることにより、彼女の中に「人工潮」を生成しました。彼女は体内を神秘的な流体が流れるのを感じると報告し、数時間の間その症状から解放されました。しかし、メスメルは磁石そのものによって治癒を達成したとは信じていませんでした。この時彼は、動物には目に見えない磁気の力があるという「動物磁気」という着想を得て、彼はすぐに治療の一部として、磁石を使用することを停止しました。

その後独自の研究を続けたメスメルは、1778年ウイーンからパリに活動の拠点を変えました。

そこで開業医として開業しながら、治療を続けた彼は、一躍大人気となります。大きな効果を出した彼に、一度見てもらおうと、当時のほとんどの貴族階級がこぞって押し寄せました。そのことが他の医師の嫉妬をかいながらも、忙しい毎日を送ります。

センセーショナルに流行した彼のヒーリングは、政府に目を付けられることとなります。治安を維持するために当時の王ルイ16世が、諮問委員会を結成させ、メスメルの活動がイカサマなのかイカサマでないのか、調査させたのです。

その諮問委員会のメンバーには当時のインテリ層であった、化学者アントワーヌ·ラヴォアジエ(質量保存の法則)、国会議員で医師のジョセフ·イグナスギヨタン(ギロチンの考案者)、天文学者ジャン·シルヴァン·バイイ、とアメリカの大使ベンジャミン·フランクリン(アメリカ100ドル札)が含まれていました。

このとき委員会は、メスメルを直接調べたわけでなく、D‘エスロンの実践を検証しました。

彼には当時沢山の弟子がいたので、集団で行う治療も行っていました。自身の動物磁気を使ってバケツに入れた水を磁気化して、「触れば直る」ということをやっていたようです。

諮問委員会はメスメルの治療が効果があったかどうかを調査したわけではなく、彼が新しい物理的な流体を発見したかどうか、ということを結論付けるためにいくつかの実験を行いました。その結果、委員会は、確かに治癒が起こっているが、このような流体が存在する証拠は存在しないと結論付けました。治療によりどのような効果がもたらされていたとしても、それは「想像力」の産物だったとしたのです。

そして彼はパリを去り、ウイーンに戻りますが、彼の弟子は水面下で活動を続けます。

メスメルは健康な状態は、私たちの体の数千のチャネルに自由に流れがある状態であると理解していたようです。病気は、この流れに障害物があることによって引き起こされるため、これらの障害を取り除けば、健康を回復すると言う考え方です。自然にこれを行うことができなかった場合には、動物磁気の導体との接触が必要かつ十分な救済策であると、彼は考えていました。メスメルが目的としていたのは、自然の状態に近づくように援助することです。

このような考え方は、現代における東洋の気の考え方や、レイキに近いものとして現在では理解されています。西洋で、気の流れという考え方が全く分断されていたのは、彼がイカサマだとして追放されたためである言われています。

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